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Nomal 淀殿ゆかりの伝承も、京都市伏見区の寺院で「秘仏」初公開 /管理人 (24/04/26(Fri) 17:42) [609] apr067.jpg/133KB


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[609]  淀殿ゆかりの伝承も、京都市伏見区の寺院で「秘仏」初公開
□投稿者/ 管理人 院生(614回)-(2024/04/26(Fri) 17:42:58)

     京都市伏見区淀の浄土宗寺院・常念寺で、修復を終えた秘仏「郡分(こおりわけ)十一面観音菩薩像」が27日から初公開される。豊富な水がもたらす功罪とともに歩んだ淀の歴史を映す仏像で、本多廣賢住職(72)は「水害の多い地域で守り伝えられてきた像。これからも多くの命を守ってもらいたい」と思いを込める。

     常念寺は桂川右岸の水垂(みずだれ)地域にあるが、元は左岸の納所(のうそ)地域にあったとされる。豊臣秀吉の淀城整備で右岸に移った後も、1900(明治33)年と2010年に、川の改修工事に伴い集落とともに伽藍(がらん)を移転してきた。

     初公開の像(高さ42センチ)は10年の移転時に復興した観音堂にまつられ、秀吉の妻・淀殿の念持仏だったとの伝承がある。腕などにひびが入っていたため、22年から修復。全体を覆う黒い塗料を剥(は)ぐと金地の体と彩色の衣装が現れ、その下にも別の塗装や文様があると分かり、修復では最も古い姿を再現した。

     修復に伴う調査で像の来歴も判明した。像内に16世紀半ばに修復したとの墨書があり、過去の調査で推定されていた制作年代(14世紀)が一定、裏付けられた。さらに寺の記録から、像は桂川左岸にあった巨椋池の島でまつられ、常念寺の前身の西福寺に移ったことも分かったという。

     「水害から地域や家族を守って、という願いを託された像では」。本多住職はそう推測する。大河川や巨椋池に囲まれた淀は、河川港「淀津」が設けられたように水の恩恵を受ける一方、水害にも悩まされてきた。像内の墨書には「雨復」とあり、「雨が降りすぎないようにと願い、修復したのだと思う」。

     本多住職はこうした来歴を踏まえ、元日に発生した能登半島地震での津波被害の報に触れ、「何が起きるか分からないのが災害。今こそ淀の歴史を知ってもらおう」と公開を決意した。拝観料は像の護持と被災地支援の寄付に充てるつもりだ。

     公開は30日まで。午前10時〜午後3時半受付。高校生以上700円。

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