京都府向日市で調査報告へ 初公開の資料も
室町・戦国時代に乙訓地域の自治を担った西岡(にしのおか)衆の物集女一族が、織田信長の勢力拡大で離散した後も各地で活躍していたことが、地元郷土史家の調査で明らかになった。最後の城主物集女宗入の没後450年に向け、向日市文化資料館(京都府向日市寺戸町)主催の歴史講演会で、初公開の古文書を複数紹介し、調査研究の一部を報告する。
物集女氏は西岡衆の有力な地侍の一人。宗入は1575(天正3)年、信長の家臣細川藤孝の命で謀殺された。居城とした物集女城跡(物集女町)は今年6月、国の史跡に新たに指定するよう答申された。
京都乙訓ふるさと歴史研究会の中西昌史会長(第2向陽小校長)が、5年ほど前から本格的に調査を始めた。バイオリニスト物集女純子氏=横浜市=ら子孫への聞き取りや藩士名簿などの古文書の調査によって、一族は江戸時代に松平家、水野家、本多家、柳生家など徳川幕府の代表的な大名とのつながりがあり、重用されていたことが確認された。日本初の生命保険会社の明治生命保険(現・明治安田生命保険)の創業に携わった実業家物集女清久や、明治〜昭和にかけ3代にわたり国学者や国文学者として活躍した物集高世、高見、高量といった著名人も輩出していた。
中西会長は各地域の図書館や資料館、国会図書館などを訪問。学芸員や研究者の助言を得て、古文書や城下絵図を確認し、物集女氏の足跡を浮かび上がらせた。古書店で大量の文書や絵図などが見つかり、まだまだ調査の余地があると実感したという。「物集女一族が家に誇りを持っていたことが感じられた。一族の活躍を多くの方に知っていただきたい」と呼びかけている。
歴史講演会「その後の物集女氏」は9月15日午後2時から、市文化資料館で開かれる。無料。定員50人。申し込み不要。11月2日からは企画展「中世の乙訓・西岡と物集女氏・物集女城」も開催する。問い合わせは市文化資料館075(931)1182。
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