京都郊外にあった中世城館「石見(いわみ)城跡」(京都市西京区)の発掘調査で、敵を側面から攻撃するための軍事施設「横矢」の遺構が見つかったと、京都市が20日発表した。応仁の乱に先立ち、15世紀前半には構築されているという。土一揆などが頻発し、政情が不安化してゆく室町時代の雰囲気を物語る備えとみられる。
石見城跡は善峰川の右岸に位置し、応仁の乱(1467〜77年)では東軍に属した武将・野田泰忠の攻撃を受け、70年に焼失したと伝わる。文献が少なく、詳細は分かっていないが、今回の調査で想定される中心部から、14〜15世紀とみられる多数の溝や柱穴が見つかり、実在を確かにできたという。
横矢は、出入り口近くなどに凹凸を設け、複数の方向から攻撃しやすくする軍事施設。石見城の中心部は、もともと方形の土塁に囲われていたが、出入り口に近い北西角を西側へ突き出すように築き直していた。一方、北東角は隅部を切り欠くように、改変されていた。
近くの乙訓地域に点在する中世城館跡は、横矢のない方形が多いため、石見城跡は異質となる。滋賀県立大の中井均名誉教授(日本城郭史)は「戦乱が全国的に波及していく15世紀という時代において、石見城では横矢のような軍事的な構えが必要になったとみられる。乙訓一帯の城ではほかに見られない特徴で、立地や情勢に応じて独自の工夫を施していると言え、興味深い」と話している。
市は関連の発掘調査を2025年度まで予定しており、24年度分は11月末まで約350平方メートルを調べている。現地説明会を23日午前10時から開く。申し込み不要。小雨決行。現場事務所(当日のみ)080(1402)4397。
|