徳川将軍家が二条城に後水尾天皇を迎えた「寛永行幸」(1626年)をテーマとした行事が、京都市内で相次いで催されている。400年記念の取り組みならば、本番は2年後のはずだが、文化の講演や芸能の公演がすでに催されている。なぜこのタイミングで動き出しているのか。そもそもこの行幸はどのような出来事だったのか。
記念行事の皮切りは今年2月、二条城(京都市中京区)で初めての特別名誉城主就任だった。現在の徳川家当主・家広さんが、その任を引き受け、国宝・二の丸御殿で式典があった。
「江戸時代が始まり、終わった城のお役に立てて感慨深い」
初代・家康から数えて19代目となり、伝来の文化財などを管理する徳川記念財団の理事長。二条城が最も華やいだともいわれる寛永行幸を描いた屏風(びょうぶ)を見つめ、特別名誉城主は「ぜひお役に立てたらと思う」と意気込みを述べた。
そもそも「寛永の二条城行幸」とは何か。
これをテーマとした講演が10月、京都市内であった。講師を務めた京都大名誉教授の藤井讓治さんによると、「大規模な政治ショー」になる。
「すべての大名を京に集め、迎えの行列に従わせることによって、徳川への臣従をよりいっそう確かにする。さらには、徳川に反感を持つ公家らに力を見せつけて懐柔するものでもあった」
二条城にも詳しい近世史研究者が説いたように、徳川による治世や平和を広く知らしめる象徴的なイベントだったようだ。
実際の行幸は寛永3(1626)年9月6日から始まった。後水尾天皇が京都御所から向かう際、多くの武家や公家らが伴い、数千人が大行列をなした。城内では金銀の器を用いた宴のほか、乗馬や蹴鞠(けまり)、和歌、能といったもてなしが5日間にわたって続いた。幕府と朝廷の融和を演出した一大ページェントとして、その後の洛中洛外図に描かれるようになる。
これら特別名誉城主や講演の企画を手がけるのは、京都府立大准教授の濱崎加奈子さんが代表を務める団体だ。「寛永行幸やその時代が育んだ文化があったのに、京都の人にさえあまり知られていない。今年は再認識してもらう取り組みに力を入れた」。こう語る濱崎さんらは、花や能といった関わりの深い文化や芸能の行事をまず催した。
濱崎さんは、江戸期の儒者・皆川淇園(みながわきえん)が主宰した学問所「弘道館」(上京区)跡の建物を生かし、文化サロンの場づくりに注力してきた。2016年、東京五輪に向けた国際会議「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」(文部科学省など主催)が二条城であった際、文化イベントの演出に関わったいきさつから、26年に「二条城・寛永行幸四百年祭」を実現しようと、旗振り役となった。
一連の取り組みを今年から本格化させたのは、歴史の逸話にあやかったからだ。寛永行幸を仕掛けた2代・徳川秀忠はその準備を2年前から始めている。来たる25〜26年にかけても、平和、日本文化、新しい祭りの三つをキーワードに活動していく構えだ。
濱崎さんは言う。「今後は26年の行列再現に向けて、発信や体制づくりに力を入れたい。かつての大名たちと同じように全国から参加する行列にしたいし、文化や文化財を生かしたまちづくりとして定着できるよう、多くの人を巻き込みながら仕掛けていきたい」
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