「高大壮麗」と記された往時伝える遺構か
平安時代を代表する貴族邸宅「高陽院(かやのいん)」(京都市中京区)跡で、園池の端部や建物の礎石が、民間調査会社の発掘調査で見つかった。高陽院は関白の藤原頼通が築き、平安京最大級の園池があったとされ、礎石は池近くの建物「釣殿」に用いられた可能性があるという。
高陽院は頼通が造営し、1021年に完成した。広さは上級貴族邸宅の標準が1町(約120メートル四方)なのに対し、4町を占めた。調査地は中京区竹屋町通堀川東入ルで、邸宅の南西部に当たる。
調査地では、園池の南岸などの池状遺構(幅約4メートル、最大深0・4メートル)が見つかった。人目につかない端に位置するためか、岸辺に見栄えを良くする州浜は施されておらず、景石もなかった。一方、礎石は二つが近くの盛り土に埋められ、重さ約280キロと約200キロ。いずれも自然石の上面を平らに加工し、ほぞ穴も設けてあり、建物の柱を支えたとみられる。
高陽院は、当時の貴族・藤原実資が「高大壮麗、比類すべき無し」と日記『小右記』に書き記した。造営後、何度も焼失したが再建され、作庭に頼通が関わったといわれる。当時の後一条天皇行幸を描いた『駒競(こまくらべ)行幸絵巻』や、平安期の歴史物語『栄花物語』には、寝殿や釣殿があったと記されるが、これを裏付ける遺構はこれまでに確かめられていない。
調査会社は「同じような礎石が、近くであった先行調査でも二つ見つかっている。これらはサイズが似通う上、いずれも池のそばで見つかったことになる。礎石は園池に張り出すような設けられた建物『釣殿』に用いられた可能性を指摘できる」としている。
発掘調査は2024年5〜6月、民間会社の平安京調査会(北区)がマンション開発に伴い、敷地約160平方メートルを調べ、成果を報告書にまとめていた。
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