「長岡京は10年間しかなかったとはいえ」発掘の意義は
京都府埋蔵文化財調査研究センター(京都府向日市)は、長岡京市井ノ内朝日寺の長岡京跡で、東西の通りで最重要とされる二条大路の側溝跡や、宅地の間を南北に通る「坊間小路」を見つけたと発表した。これまで発見された二条大路の側溝跡では最も西側にあり、条坊施工が着実に進められたことが分かる成果。22日午前10時から現地説明会を開く。
調査は、向日が丘支援学校の建て替え工事に伴って昨年度から実施し、本年度は約3千平方メートルを調べてきた。
同センターによると二条大路は、都の中央を南北に走る朱雀大路に次ぐ規模の「東西のメインストリート」とされ、幅は約44メートルあったと考えられている。
今回の調査地は、長岡京の最西端を南北に走る西四坊大路や、二条大路などに囲まれた「右京三条四坊八町・九町」。検出された側溝跡は幅約1・3メートル、深さ約0・8メートル、長さ約12メートル。二条大路の南側側溝の位置にあたる。また「西四坊坊間小路」の西側溝にあたる位置に幅約1・3メートル、深さ約0・15メートル、長さ約20メートルある南北方向の側溝跡を発見。宅地内のものとみられる溝も見つけたという。
同センター調査課の中川和哉課長補佐は「長岡京は10年間しかなかったとはいえ、貴族らが住んだ北の方は西の端までしっかりと整備されていたことが分かる」としている。
また古墳時代の遺跡から、竪穴建物跡6基や馬の形をした「土馬」も出土し、周辺にある古墳に葬られた首長を支えた集落とみられるという。継体天皇が乙訓地域で弟国宮を営んだとされる6世紀初頭ごろに作られたとみられる1辺3〜4・2メートルの竪穴建物跡を6基発見。土馬のほか、塩を入れて運ぶ「製塩土器」の土器片も見つかった。
調査地の周辺には井ノ内稲荷塚古墳や井ノ内車塚古墳があり、同センター調査課の福山博章主任は「古墳に埋葬された首長を支えていた集落と考えられ、馬に関する仕事をしていた可能性もある。地域の歴史を示す資料だ」と話す。
現地説明会は雨天決行。駐車場はない。平日の問い合わせ先は同センター(933)3877。当日の問い合わせ先は080(6389)9840。
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