戦国武将の三好長慶が京都の拠点とした城館「西院城」(京都市右京区西院巽町)跡で、関連する建物跡2棟が民間団体の発掘調査で初めて見つかった。「さいのしろ」として、京の情景を描いた「上杉本洛中洛外図屏風(びょうぶ)」(国宝)にも登場する建物の存在が、考古学的に確かめられた格好だ。文献には戦場となった記録もあり、動乱期の諸相を物語る遺構と言える。
西院城は西院地域の荘園管理を担った小泉氏が築き、小泉城の別名を持つ。織田信長に先駆け、畿内を制した最初の天下人とも呼ばれる長慶が、室町幕府管領家の主君・細川晴元と対立。改修した城の城主に部将の小泉秀清を据え、洛中を押さえる軍事拠点を構えた。長慶の死後、城は落城したと伝わる。
調査地は四条佐井西交差点の南西角。北側に多数の柱穴があり、東西に並ぶ掘立柱建物跡2棟のうち、西の1棟(東西8・3メートル、南北4メートル)が復元できた。中央部は床張りで、東西に土間を配したとみられる。
さらに、中央部は柱が密集した堅固な構造だったことも判明した。調査した民間団体は「楼閣状の中核施設だった可能性がある」とみる。実際、信長が上杉謙信に贈ったとされる上杉本には、金雲の雲間に楼門や櫓(やぐら)と思われる建物が描かれており、絵図の姿は今回の考古知見に基づく想定とも一致するという。
調査地の南側では、東西9メートルに及ぶ溝(幅1メートル、深さ0・3メートル)の両側に川原石を積んだ石組みの溝跡も残っていた。城内の中心部を区画する目的で整備されたと考えられる。
民間団体は「これまで発掘調査が少なく、分からないことが多かった西院城の実態を明らかにできた。今後、調査が進む上で一つのメルクマール(指標)になる」としている。
発掘調査は2024年11〜12月、NPO法人平安京調査会(北区)が平安京右京五条三坊八町跡に当たる約180平方メートルを調べ、成果をこのほど報告書にまとめた。
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