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大久保利通が京都で用いた旧邸「見取り図」に専門家ビックリ
□投稿者/ 管理人
院生(647回)-(2024/05/14(Tue) 16:28:23)
子孫が保管、明治維新に向けた「密談」逸話も裏付け
大久保利通が幕末に京都で用いた旧邸(京都市上京区)の見取り図が、子孫の大久保家に残っていることが分かった。写真データで図面を確認した京都の歴史研究家は「こんな資料があって驚いた。大久保や家族の生活の場と、維新につながる『仕事』の場の関係がよく伝わる」と話す。
旧邸は1866(慶応2)年から68(明治元)年まで用いられ、茶室「有待庵」は薩長同盟が結ばれた小松帯刀の邸宅「御花畑」から大久保邸へ移されたとされる。大久保家の子孫によると、見取り図は利通の三男・利武から代々、利通のひ孫に当たる利泰氏まで受け継がれた。中京区の原田良子さん(57)が2023年春、大久保家から図面の写真データの提供を受け、確認した。
原本は縦39・4センチ、横27・3センチ。欄外に「原 大久保利通侯之𦾔(旧)屋敷地」とあり、「上京區(区)石薬師通寺町東入南側」の住所、「六拾八坪三分四厘(68・34坪)」の広さが記される。主屋の間取りを8畳、6畳、4畳半の部屋が計五つあると示し、南側に茶室を描く。茶室そばには岩倉具視や西郷隆盛、木戸孝允らの名を列挙し、「当時之勤王諸氏蜜(密)談場所ニシテ殊ニ錦旗調製セシ場所蜜室ナリ」と朱書きする。
見取り図について、原田さんは、この茶室で明治維新に向けた密談が行われたという逸話を裏付けるとした上、旧薩摩藩士の大山巌が密談に入れず別の部屋で待っていたと述懐している点にも触れ、「旧邸の利用実態を裏付ける」とする。
明治維新史の青山忠正・佛教大名誉教授は、大久保家の所有を離れた旧邸を利武が再び入手し、公開を始めた大正時代初期ごろに製作された図面とみる。「主屋の構造や茶室との位置関係はよく分かっていなかった。文献資料が示す旧邸の内実をよく理解できる資料だ」と話している。
茶室「有待庵」は原田さんらが2019年に大久保旧邸跡で残存を確認した。現在は解体され、京都市が移築を計画している。
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