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■638 /inTopicNo.1)  光源氏モデルの平安貴族、もう一つの家あった?
    □投稿者/ 管理人 院生(643回)-(2024/05/09(Thu) 20:20:12)

      中京区の発掘調査、手がかりになった遺物とは

       光源氏のモデルとされる平安貴族の邸宅が、現在の島津製作所敷地(京都市中京区西ノ京)にあった―。平安時代初期の貴族・源融の邸宅「河原院」が源氏物語の主人公・光源氏の六条院のモデルとして知られるが、文献にない源融のもう一つの邸宅が明らかになった。手がかりは「きらーん」と光る遺物。京都市考古資料館(上京区)の山本雅和館長が講演し、考古成果に基づく考察を語った。

       山本さんは2017年、島津製作所の発掘調査に関わり、平安初期で最大級の貴族邸宅建物跡を見つけた。公表時は源融邸と断定しなかったが、合わせて大量に出土した緑釉陶器の評価が裏付けの一つとなった。父の嵯峨天皇ら一部しか所有していない最上級の逸品と分かったからだ。

       「緑釉陶器には上等なものとそうでもないものがあって、違いが明らかになった。出土品は嵯峨天皇の冷然院で見つかった緑釉陶器と同じように『きらーん』としていた」

       また、天皇の意思や命令を意味する勅旨の「旨」を刻印した瓦が出土した状況も、講演で解説があった。山本さんによると、長岡京を経て平安京でも用いられた遺物で、この地に遷都当初(794年)から巨大邸宅があったことを示唆する。源融(822〜95年)以前の家主が想定され、「親王時の嵯峨天皇かもしれない。天皇になる時に(邸宅を)息子へ譲ったといった想像も働く」とした。

       講演は4月20日、同館の「紫式部の平安京展」(6月23日まで)の関連行事として催され、約30人が聞いた。


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