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■1560 /inTopicNo.1)  伏見区の桂川右岸で中世「淀城」遺構を初確認
    □投稿者/ 管理人 小学生(123回)-(2026/08/31(Mon) 12:00:34)

       長さ100メートル堀も

       京都市伏見区淀水垂町の桂川右岸で、室町時代後期の淀城の一部とみられる大規模な堀で囲まれた遺構が見つかった。発掘調査した京都市埋蔵文化財研究所(上京区)は、長さ約100メートルに及ぶ堀もあることから、室町幕府で将軍に次ぐ地位の管領(かんれい)ら有力者が居城にした可能性があるとみている。三川合流地だった淀は淀川水運の拠点として栄え、江戸幕府の淀城や、秀吉が弟の秀長に築かせた淀古城より前の中世にも城があったことが史料から知られていたが、遺構の確認は初めて。淀古城の推定域とも重なり得ることから、市埋文研は、淀古城との関係にも迫る「大きな発見」としている。

       市埋文研によると、長さ約100メートルの堀は南北方向に伸び、幅約5メートル、深さ約2・7メートル。断面がV字状で防御性が高く、空堀だったとみられる。この堀の北端と南端ではそれぞれ東西方向に伸びる堀も長さ約10〜20メートル見つかっており、堀に囲まれた方形区画では建物の柱穴を多く検出した。

       遺構は河川敷にあり、すぐ東の桂川によって途切れて縦長の形をしているが、中世の桂川は現在よりもっと東を流れていたため、城は正方形に近かったと推定される。陶磁器や武器などの出土遺物の年代から、堀は1500年代初めから約80年間にわたって、繰り返し掘り直されて継続利用されていたとみられる。

       淀は古代から中世にかけて、大消費地だった京の都の外港として栄え、室町時代の史料に「千間(軒)在所」とあるように、都市的な場が広がっていた。交通・経済の要衝であるだけに係争の地となり、1504年以降、淀城に関する記述が頻繁に現れるが、その実態はよく分かっていなかった。

       桂川右岸の乙訓地域には中世の土豪が構えた城館跡が点在し、規模は70メートル四方が基本。今回の遺構はその規模をしのぎ、堀の幅や深さも上回るため、史料に登場する細川管領家や守護代、三好三人衆ら有力者が要衝の淀を押さえるための城と考えられるという。

       中世の桂川は、秀吉の淀古城の推定地の東側を流れており、淀古城と中世の淀城は陸続きの位置関係にあり、淀古城の中心地と今回の遺構の距離は300メートルほどだ。市埋文研は「淀古城が、中世の淀城の場所も再整備して築かれた可能性がある」としている。

       京都府大山崎町の町歴史資料館長で、中世都市や城郭に詳しい福島克彦さんは「淀の水運を握った商人兼武士といった在地勢力の城館である可能性も含め、どういう性格の城だったかは慎重に検討する必要がある」とした上で、「淀の様子は江戸時代は絵図などで一定明らかだが、今回の遺構は中世の実態を考える上で貴重だ。あまり分かっていない豊臣時代の実態に迫るきっかけにもなるだろう」としている。

       発掘調査は、国土交通省の桂川河道拡幅工事を前に昨年10月〜今年5月に実施。今回の成果を受けた現地見学会は行わない。

      3つの「淀城」 三川合流、水運の要衝

       「淀城」(京都市伏見区)は、室町時代から江戸時代にかけて3度変遷したと考えられている。時代が変わっても同様の場所に城郭などの拠点が築かれたのは、経済的、軍事的に重要な位置を占めていたからだ。その歴史を考えるときの鍵が「川」。淀は桂川、宇治川、木津川の三川が合流する水運の要衝だった。今春まで行われた桂川左岸の発掘調査では、木津川を付け替えて拡張された江戸期の淀城下町の遺構も見つかった。川とともに歩んだ淀地域の移り変わりが、発掘調査でも明らかにされつつある。

       「淀城」には3つあると考えられている。今回、伏見区の桂川右岸で大規模な堀を伴う遺構が見つかった中世の淀城、豊臣秀吉が築いて側室の淀殿も暮らした淀古城、それらよりやや南に江戸幕府が造営して現在も石垣や堀が残る淀城だ。

       中世の淀城や秀吉の淀古城があった頃、桂川はそれらの城の東側(現在の伏見区納所)を流れていたことが、地理学を含むこれまでの研究から明らかになっている。「古代はさらに東を流れていた。堤が築かれるより前の時代には、川筋が動くのは普通だった」と、中世の淀城の発掘調査に携わった市埋蔵文化財研究所の柏田有香調査係長は説明する。

       現在は桂川が、中世の淀城跡発掘現場と淀古城推定地を分断しているが、当時は陸続きだった。江戸幕府が淀城を築くにあたり、現在の河道に付け替えたという。

       桂川左岸の伏見区淀木津町で市文化財保護課が昨年4月から今年5月に実施した発掘調査では、江戸前期の1637〜39年に木津川の河道を付け替えて新たに造成された城下町の遺構を初めて確認した。武家屋敷や長屋が立ち並ぶ「外高嶋」と「木津」エリアや、その間に掘られた「五間堀」だ。五間堀の斜面は本丸にあるような石垣ではなく、張り石をした護岸に近い構造で、「桂川につながっていたため、城としての外観よりも治水機能を優先したのでは」(同課・鈴木久史主任)という。

       一方、秀吉の築いた淀古城については遺構が発掘されたことはなく、実態は謎に包まれたままだ。中世淀城の堀跡のそばでは、安土桃山時代に造営された巨大な南北方向の溝跡が発掘されている。東西方向の溝跡からは秀吉を想起させる金箔(きんぱく)瓦も見つかっているものの、「巨大な溝は桂川を付け替える前段階に掘られた跡など他の可能性も想定され、淀古城の堀と言える根拠はまだない」(市埋文研)といい、今後の解明が期待される。

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