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■1111 /inTopicNo.1)  令和になっても更新が難しい紫式部のプロフィル 京都市にある「ゆかりの地」をたどると…
    □投稿者/ 管理人 院生(1118回)-(2024/12/20(Fri) 15:38:31)

       世界最古の長編小説『源氏物語』は2024年、数多くの現代語訳や関連本が書店に並んだ。作者の紫式部を主役とした大河ドラマの影響とみられ、関連の研究や論考の発表も相次いだ。だが、これらに目を通しても、歴史のなかの彼女がいつ生まれ、どのような名が付けられ、どこに住んだのか、といった基本のプロフィル項目さえあいまいなままだ。新たに明らかになってきたことはないのか、平安時代の歴史や文学を知る第一人者にあらためて聞いてみた。

       広辞苑(第7版・2018年発行)をひもとくと、紫式部は「生没年未詳」。日本史の辞典をめくっても、生まれは970年代などとはっきりしない。没年を1010年代とする記述もあったが、近年に1020年春から23年の間とみる新説も示されているという。娘の藤原賢子は母亡き後に宮仕えを始めたとの見解をもとに、死期を推定している。

       本名はどうか。

       大河ドラマの「まひろ」は、作品のために生み出された名前だ。自力で時代を切り開いたり、心に燃えるものを秘めたりする主人公をイメージし、ドラマ制作者らが命名したという。対して、現存する古文書には、中下級貴族を父に持つことを表す「藤原為時の女(むすめ)」とあるが、本名までは記されていない。

       平安期の女性名について、平安文学に詳しい京都先端科学大教授の山本淳子さんは「貴族層でも文献に記されることがまれ」という。その名が分かるのは、一条天皇の中宮・彰子といった天皇の身内や上級貴族の娘に限られる。

       一方、「紫式部」とは彰子に仕えた際の女房名で、いわば職場の呼び名になる。当時の歴史物語『栄花物語』にも見られる表記とはいえ、正式には「藤式部」。藤原氏に生まれ、父らの官職「式部丞」にちなむとの説が有力だ。同僚だった赤染衛門や和泉式部も、父・夫の氏や官職に基づいた女房名とみられ、本名は分からない。

       実はかつて「藤原香子」説が取りざたされたことがある。提唱したのは、京都文化博物館(京都市中京区)の前身、平安博物館で館長を務めた歴史学者の故角田文衞さん。「『かをり子』または『たか子』と訓(よ)まれたのであろう」(角田氏『紫式部伝』)。彰子に仕えた女房の人数や序列、その名を貴族らの日記から拾い上げて類推し、1963年に論考にまとめている。

       しかし、国文学者らの反論があって、香子説は学術的に確かになったとは言いがたい。さりとて、その後に別案が出されることもなかった。大河ドラマ放映が決まった際、「もしかして…」という期待が角田さんを知る関係者にあったが、「まひろ」となった。

       邸宅跡について、現在の廬山寺(上京区)説を示したのも、角田さんだ。平安期のこの地に、紫式部の父方・曽祖父になる藤原兼輔(堤中納言)の「堤邸」があったという。これを父の為時が継いで、母を亡くした彼女を引き取って暮らしていたと結び付けた。

       廬山寺説は当初、寺院の関係者も「ほんまかいな」と驚かせたが、角田さんらが関わり、1965年に顕彰碑と源氏庭が境内に整えられた。もっとも、堤邸が男系で受け継がれて為時邸となった見立てに、近年に異論も出されている。平安貴族らの結婚は女性の家に婿を迎え、邸宅は女性が受け継いだ原則があったとされるため、「首肯しがたい」という。

       平安時代史の専門家はどうみるのか。

       角田さんの教えも受けた同志社女子大名誉教授の朧谷寿さんは「紫式部が堤邸に住んだと記した平安期の文献はない。後世の史料に基づいて類推するほかないため、歴史学的に確定したとまでは言いにくい。とはいえ、堤邸の周りに目を向けると、道長の土御門殿や法成寺があるなど、一帯が貴族の集まる『高級住宅街』だったことも間違いない。為時邸の一つが、この辺りにあったとはいえそうだが…」というにとどめる。

       令和になっても更新が難しい紫式部のプロフィル。ならば、せめてゆかりの地は分からないだろうか。

       「この地に縁あっての『紫』かも」と朧谷さんが挙げたのは、平安京の北郊にある紫野だ。「源氏物語でもこの地にあった寺院の雲林院(うりんいん)が出てくる」

       たしかに、墓の伝承もある。源氏物語の注釈書『河海抄(かかいしょう)』に「雲林院・白毫院(びゃくごういん)の南に在り、小野篁墓の西なり」と所伝がつづられる。南北朝時代の書物の記述になるものの、14世紀中期にはすでに言い伝えられていたことになる。現在、北区堀川通北大路下ルに墳丘と墓石がある。

       この紫式部の墓について、「当たらずといえども遠からず」と評するのは、晩年の角田さんに薫陶を受けた同志社女子大特任教授の山田邦和さん。京都の都市史や墓制史を専門にする立場から、平安期は葬送地として、鴨川の東に鳥辺野、京の北郊に紫野・蓮台野があり、貴族や近親者らが弔われていたのは確かという。

       「ピンポイントで指し示すのは難しいが、河海抄の伝承を重ね合わせると、紫野・蓮台野のどこかに眠っている可能性は高い」

       注目を集め、研究も進められたのに、雲隠れしたままの紫式部の実像。その姿を明らかにするのは、見果てぬ夢かもしれないが、世界的な古典物語の作者ゆえ、今後も研究者やファンによる探究は続けられるのだろう。


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