奈良の美術史 ■ 古墳〜天平 ■ 貞観・藤原〜鎌倉 ■ 室町〜江戸 ■ 明治〜

奈良は日本美術の宝庫である。
特に上代の美術のほとんどがこの地方に集中しており、社寺の建築やそこに安置されている仏像などを鑑賞することが奈良の旅の大きな魅力の一つでもあろう。
ここでは奈良を中心とした美術と歴史について、時代を追ってその概要を書く。
なお、時代の区分は美術史的なものであり、政治区分とは若干異なっている。

■ 古墳時代〜白鳳・天平時代

古墳時代 三世紀後半ごろ〜六世紀中ごろ

日本が一つの国として統一されたのは4世紀中ごろのことで、これは大和を中心とした部族長らによって行われた。
『古事記』や『日本書紀』に見られる神武天皇の東征や日本武尊の西征物語などは、この地方の諸部族征服の物語であろう。
大和やその周辺地域に残る巨大な古墳は、これら有力な部族長のために残る造営されたものである。
その古墳からは埴輪のほかに武具・馬具・装身具など大陸的色彩の濃い副葬品が出土しており、古墳時代の文化が弥生文化を基調とし、中国大陸や朝鮮半島との交流によってさらに発展したことがわかる。

前期
茶臼山古墳 景行・崇神天皇陵 箸墓 成務天皇陵 日葉酢媛命陵

中期
宇和奈辺古墳 宮山古墳 新沢千塚

後期
見瀬丸山古墳 岩屋山古墳 高松塚古墳

飛鳥時代  6世紀後半〜650年ごろ

推古朝を頂点とする6世紀後半から7世紀前半にかけての期間は、当時の都の所在地にちなんで飛鳥時代と呼ばれている。
6世紀中ごろ、朝鮮半島を経てわが国に伝えられた仏教は、蘇我氏や仏教のよき理解者であった聖徳太子などの加護を受け隆盛し、法興寺(飛鳥寺)をはじめとする四天王寺・法隆寺・川原寺などの多数の大寺が造営され、わが国の文化は急速に変貌をとげた。
その中で特に注目されるのは、大陸や半島からの渡来人やその子孫たちの活動であり、仏師鞍作止利(くらつくりのとり)のような優れた渡来人やその子孫らによって六朝時代から初唐にかけての大陸や半島の様式の影響を強く受けた。
新しい造形美術が創り上げられていったことである。

 *仏教公伝*
 百済王から仏教と経典が欽明天皇に献上され、仏教が公伝したのは、上宮聖徳法王帝説や元興寺縁起によると538(欽明天皇7)年、 日本書紀によると552(欽明天皇13)年とされるが、近年では538年とする説が有力。
 しかし、事実上の仏教の伝来はもっと早く、大陸からの帰化人らによってもたらされていたらしく、仏教公伝のころにはすでに蘇我氏らはこ れを知っていたとみられる。

 ● 彫刻
 この時代の代表作としては、623(推古31)年、止利仏師によって制作された法隆寺金堂の釈迦三尊像が挙げられる。
 飛鳥大仏や戊子銘釈迦三尊などは止利様式と呼ばれるが、その作風は正面観照性が重んじられ、画はアルカイック期mpギリシャ彫刻  に似ており、左右対称に刻まれた図式的な衣のひだなどによって構成されているのが特長で、中国北魏様式の影響が強く認められる。
 一方、法隆寺金堂の四天王・百済観音・中宮寺の菩薩半跏像などのように、北斉、北周の影響を受けた作品も作られている。

 ● その他
 工芸品は多くは残っていないが、玉虫厨子・天寿国繍帳などに大陸の強い影響が認められ、これらは工芸品としてだけではなく、当時の 絵画や建築を知る上で資料としても貴重なものである。
 世界最古の木造建築として知られる法隆寺金堂は白鳳時代に入り造営されたものではあるが、飛鳥様式の遺構として見過ごすことはで きない。
 
白鳳・天平時代(奈良時代)  650年ごろ〜790年ごろ

607(推古15)年初めて正使を隋へへ送って以来、大陸との交渉は約300年にわたってつづけられた。
ことに7世紀後半から8世紀にかけてのこの時代は大陸に覇をとなえた唐の制度や文物を積極的に取り入れて、中央政権の体制が整えられた時期でもある。
701(和銅元)年には日本最初の鋳貨ある和同開珎が作られ、2年後には奈良に平城京が完成した。
その後74年間にわたり、代々の天皇は従来のように即位のたびに都を移すことをせず、平城京を都と定めたのである。
ここでも前時代に引きつづき仏教は天皇と結びついて繁栄し、国家的事業として進められた東大寺造営において頂点に達し、仏教美術もそれに呼応して優れた多くの作品を生み出した。
美術史の上では、奈良時代は平城京遷都を境に前期と後期に分けられる。
前期は白鳳時代と呼ばれ、隋から初唐にかけての様式を取り入れた、飛鳥様式とは異なった様式が作り上げられた。
後期は天平時代と呼ばれ、爛熟した盛唐の様式を受けて彫刻・絵画・工芸・建築などさまざまな分野で白鳳様式を脱して、天平様式が完成する。

 ● 彫刻
 白鳳時代になると、681(天武10)年に作られた当麻時金堂の弥陀仏のように、まるまるとした量感豊かな体ク(身區)やゆるやかで自  然な衣のひだの表現など、前代には見られなかった写実性を帯びた像が作られ、隋から初唐にかけての中国の新様式を積極的に取り入 れている。
 

■ 貞観・藤原〜鎌倉

■ 室町〜江戸

■ 明治〜


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