今年の干支は午(馬)なので、京都で馬に縁のある寺や場所など
●鞍馬寺
馬と最も因縁が深い寺である。
寺伝によると、宝亀元年(770)、奈良唐招提寺の鑑禎上人は正月四日の初寅の夜。山城国の北方に霊山のあることを夢に見、夢から覚めて後、その山を訪ねていったところ、朝日の輝く雲の彼方に鞍を置いた白馬がいるのを認め、そのいく所に従って鞍馬山中に至り、一体の毘沙門天像を得たので、そこに一宇の草堂を建立した。それから二十六年後の延暦十五年、藤原伊勢人はかねてより観音を祀るにふさわしい霊地を捜し求めていたが、夢に貴船の明神があらわれ、北方に霊山のあることを教えられた。そこで鞍を置いた白馬を放ち、その導きによって先の草堂をみつけ毘沙門天像を本尊とし、千手観音像をつくって安置したのが、当寺の起こりと伝える。●貴船神社
降雨・止雨を祈る神を祀っていて、雨乞いには黒馬、雨止みには白馬を献じるのが古例であった。
雨乞い祈願は貴船山中の滝のもとで行われた。そこを雨乞いの滝といい、滝は三段に分かれて落下する。今は酒一升ずつを流して祈願する。●東寺
灌頂院は南門を入った左にある。
普段は門を閉めているが、正月の御修法のときと御影供のときのみ開かれる。
こおの閼伽井は神泉苑の池に通じるといわれ、善女竜王を祀っている。その井戸の上に屋形があって、四月の御影供にはひさしの上に朱色で描いた三枚の馬絵が掲示される。この馬絵は弘法大師の筆ともいわれ、また竜神の描いたものが井戸の底から出てくるのだとの伝説がある。当日は近郊の農家の人たちがこの井戸の前に集まり、絵馬を眺めながら、馬の顔の長いのは前期に雨が多いとか胴が太いのは中頃に日照りが少ないとかいって、絵馬の出来栄えによってその年の農作物の豊凶を占った。絵馬が三枚あるのは、中央を本年分、他を昨年・一昨年分とし、三枚の絵を見比べることによって三年間の農作物の出来具合を判定する。近年は灌頂院北門の前に特設台を設け、一般に掲示している。●妙法院
白書院の入り口にあたる狩野山楽筆の黒駒図衝立は、金地着色の板地に黒彩で雄渾なシルエット風の馬が描かれている傑作中の傑作である。
本坊北東背後の山中にある高さ約9メートルほどの細い滝であるが、左右に巨岩がそびえ立ち、周囲に樹木がうっそうとして生い茂り、幽邃境をなしている。滝の前に道智僧正を祀った小祠がある。これを『神仙佳境』と称する。
道智は九条道家の子で、出家して三井寺の長吏となり、この地にあった最勝光院に住んだが、この地を愛するあまり、後年亀山上皇が離宮を造営するとき、怨霊となって祟ったので、その霊をここに祀ったと伝える。駒ガ滝とは道智を一に狛僧正というのにちなんでいったものであろう。この滝は草川の水源にあたり、末は白川に合流する。道智僧正にまつわる妖怪談を付随することで、古くから知られた滝であった。下寺町の蓮光寺に駒止地蔵と呼ばれる石仏がある。
この像はむかし六条河原の刑場にあったが、鴨川の氾濫によって埋没してしまった。あるとき平清盛が馬に乗って通りかかると、急に馬がとどまって進まないので、不思議に思って土中を掘りおこすと、この地蔵尊を得たと伝える。●馬町
東山区馬町は、むかしは馬借たちの馬屋が多く馬市なども開かれていたから地名になったのであろう。
一説に、淡路国より源頼朝に献上する九頭の馬をしばらくここにつなぎとどめていたところ、あまりの珍しさに諸人が群集したので、馬町とよばれるようになったとも伝える。豊国神社の境内南東隅に太閤お馬塚と称する大きな五輪石塔がある。
豊臣家滅亡後ひそかにここに秀吉の供養塔を築いたものといわれ、以前陶製の馬が一対あったので、この名がある。祇園会の神幸祭と還幸祭にあたって上久世から参加する稚児を駒形の稚児という。
稚児は胸に木彫りの馬の頭をあて、馬上のままで八坂神社の本殿まで乗り付けるならわしになっている。駒形の稚児は長刀鉾の稚児よりはるかに権威づけられ、また祇園会の最も重要な祭事の一つに数えられている。●御影祭
加茂葵祭に先だって行われる御影祭りは、比叡山麓下の御影神社から神霊を馬に乗せ、下鴨神社に移す祭礼である。
その祭礼・儀式優雅典麗なことは葵祭りに匹敵するといわれたが、近年の行列は自動車を使って行われるようになっている。叡山電鉄八瀬駅より北へ500メートル、高野川の左岸にある大きな石を義朝駒飛石と呼んでいる。
平治の乱に敗れた源義朝が東国に逃れようとしてこの地にさしかかったとき,延暦寺の衆徒に襲われ、血路をひらいて逃れたが、そのとき騎乗のままで飛び越えた岩と伝える。●駒返岩
笠置町銭司より東、木屋に至るほぼ中間の木津川右岸に近いところに、川中より突き出した巨岩を駒返岩という。
口碑によれば、楠正成が兵を率いて笠置の行宮に赴こうとしてここに至ったが、すでに笠置山が落城したことをきき、ここから駒を引き返したと伝える。●駒岩
井手町上井出の玉川上流に駒岩という大きな岩があり、表面に馬の駈ける勇壮な姿を半肉彫りにしている。
古来雨吹竜王と称し、降雨・止雨の祈願に霊験があるとされている。●馬塚
叡山電鉄北野線常盤駅の北東にあった。
近年取り壊し、礎石が数個残っているらしい。
一説に八条女院の墓だといわれるが、真偽のほどはわからない。今は町名の常盤馬塚町に残るだけである。●駒繋の松
源三位頼政が平家と戦って敗れ、宇治平等院のほとりで
埋れ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ悲しかりけると辞世の歌をしたため、軍扇を敷いて自害した。
このとき馬をつないだ駒繋の松および鎧を脱ぎすてた『鎧懸の松』というのがあったと伝えるが、今はどのまつをいったものか明らかにしない。●馬咋山
『万葉集』に 春草を馬咋山ゆ越え来なる
雁の使ひは宿り過ぐるなり馬咋山は一に咋山ともいい、田辺町飯岡の飯岡丘陵にあたる。
『著作堂一夕話』巻二 には円山応挙と一老翁の面白い話がある。